命あふれる野菜たち★美しいには訳がある
どうもこんにちは。モリシタです。
先日妻と、自分たちの屋号をどうしようかという話になりました。
するとアッサリ
「けいちゃんのはたけ」がいいじゃん
という答えが帰ってきました。
理由としては、
・こどもにも覚えやすい
・ナントカ農園とかファームではつまらない(全国の該当者様すみません)
というごく簡単な理由でしたが、妙に納得してしまったところがありました。
ということで、今後の営農活動については
「けいちゃんのはたけ」
でやっていきたいと思いますので、皆さんお見知りおきください!
話を本題に戻します。
先日、東京で活動されている私のお茶とお花の家元のところに野菜を差し上げたのですが、「美しい野菜」という風に評価していただき、素直に嬉しく思いました。
たしかに、何かこう、数値化できない生命力といいますか、一種の神々しさのようなものを感じませんか?
これが肥料なしで育つという現実を、果たして全ての人々が受け入れられるだろうか...?
そてし多くの人にぜひ知っておいていただきたいのは、野菜を育てるのは人ではなく土であるということです。
人は土を作ります。言ってしまえばそれだけが仕事です。
野菜を栽培するのは人間側の都合でやっていることなので、そのために土を作ります。
普通、人間の都合でやることの大体は反自然、つまり自然のサイクルに逆らうことです。
しかしこと農業においては、自然の仕組みに従うことによってのみ、良い実りを得ることができます。
だから農家は、自然科学に精通していなければならない。
そして自分以外の存在の声に耳を傾ける心の素直さが必要です。
土は言葉を持たないので、我々農家はそれを雑草や作物の様子などからくみ取らなければなりません。
それで食べていく生業のゆえ、ついつい金勘定の方に考えが傾きがちになりますが、そうして焦ると失敗します。
私のように、今回たまたま良いものができてしまったケースもあるでしょうが、相手は生き物です。
そして農家は一応土のプロとして、結果は偶然にではなく必然的に出していかなければなりません。だから私は農業、とりたてて自然栽培が好きなのだと思います。
美しさは、生命の属性のひとつです。
その生命に働きかけ創造するのが自然栽培農家の役割であり、
命と美しさに感謝し、自身が受け取った以上にして返すのが、食べる者の役割ではないかと考えます。
美しい野菜ができるのには、それを賞美し食べる人々がいなければならないのです。
つまりは皆さんが居るからこそ、美しい野菜が必要となり、皆さんが居るために、自然界の美しい循環が回りはじめるのです。
では
なぜ美しさが必要なのか?
それは、私たちの本質が"美"にあるからです。