食べ物の意味
私は個人的に思います。
食べ物に善悪はないと。
例えばコンビニ。
大多数の人々の潜在的なニーズが、あの、24時間口当たりの良いものを提供することのできるサービスを生み出した。
コンビニの飲食物のどれを見ても、必ず添加物は入っているし、先日は、なぜかコロッケパンに砂糖が含まれていました。
しかしこれらの不健康食品は、そういったサービスを求めた消費者が代償として払わなければならないリスクであり、コンビニという不自然な飲食物の配給拠点を維持するためには、同じく不自然なもの、理にかなっていないものでそれを支えなければなりません。

では、完全に自然なもの、オーガニックなものだけであった方がいいのでしょうか。
たしかに、健康の面で言えばそうだと断言できます。
私たちの血肉を作るのは食べ物だからです。
原因と結果は不可分です。
ところが、私たちの生活とは食べ物だけで語れるものではありません。
むしろフォーカスすべきは、満足を求めてしまう心であると考えます。
食べ物自体に意味があるわけではない。
自分の食事するものは自分の心の決断の投影、つまり結果であるから、だから、私たちは食事を見直すと同時に、自分自身を見直すことになるのです。
食べ物について考え直すことは、皆さんの体について再考を促すことではない。
皆さんのあり方そのものについて、点検と修正を求める1つの手段として、食べ物があるのだと思います。
なぜなら、私たちは生きるために食べるからです。
心を健全に保ち、より高い生活の意義を発見し、それを行うことのために、食べ物は存在します。
トマト苗観察
どうもこんにちは。モリシタケイです。
自然栽培をしていて気づいたことがあります。
作物の葉色や様子が違うことです。

こちらは自然栽培のもの。
そしてこれは同じ品種の肥料による苗です
違う品種のものもどうぞ

自然栽培のは地植えしてあります。
引き合いに出したものはみなポットのものですが、全体的な力強さや、葉っぱの色が素直なのは自然栽培のトマト苗だと感じました。
一番下の画像などは緑が濃くていいようにも見えますが、明らかに肥料を吸っている色です。
それを理由に、野生に生えている草であんな色をしている植物はありません。特に若芽のうちから、、
例えば市販の苗を買ってきて自然栽培でやるのもいいと思いますが、出端を肥料に頼っていたため、いきなり吸肥形態を自然栽培のそれに変えるとなると、果たして大丈夫なのか不安があります。
なので私のところは、発芽の時から腐葉土の混ざった天然の土を使いました。
流石に最初は育ちが悪かったですが、植えてみてからこれでよかったのだと思えました。
とはいえ収穫が終わってみるまではどんな評価もできませんね。
それでは、ありがとうございました
トマトハウス栽培について
先日トマトの定植を行いました。
定植後すぐに活着し、順調に成長し続けています。

※何か寝ていますが気にしないでください


無肥料栽培とは思えない幹の太さです。
同じ大きさの苗が売っているのを見かけますが、明らかに施肥栽培のものとは様子が違います。
育てている自分でも肥料をあげたんじゃないかと疑っています。
畝は50センチ高くらいの極高畝です。
マルチングしていて曇りの日でも土の中は30℃以上、晴れていると40℃を優に超えます。
これが功を奏したのか、マルチの土の中では面白いことが起こっています。

糸状菌が育っています。
これが野菜の根と共存し、養分を供給します。
収穫までが楽しみです。
思わぬ収穫
どうもこんにちは。
たまたま畑を管理していましたところ、雑草の生い茂る中にこんなものがありました。

玉ねぎです。
去年腐っていて捨てたものがどういうわけか生き残り、土を根が掴んで分割、大粒のらっきょう大の大きさになっていました。

試しに試食してみたところ、とてもあっさりしていて、しかもリンゴのような甘味まである。
ちっとも辛くありません。
食べた後はやはり口の中にネギ感が残り続けますが、通常の玉ねぎの場合と比べてはるかにマイルドです。
無肥料地帯だからこの味なのか、それともこの大きさのものはみんなこの味なのか、実食してまたブログにてご報告いたします。
それでは、ありがとうございました。
農業技術あれこれ★水田地帯はやはり粘土質
どうもこんにちは、モリシタです。
先日、畑の端に明渠を堀りました。

明渠とは何かといいますと、圃場の排水性を改善するために行う土木工事です。
勾配をつけてたまった水を流すとか、その圃場の様子や施工者の考えから色々な明渠があります。
今回は、上の画像の右側に水田用の水路があることを理由に、そこからの畑への浸水を断つことを目的としています。
明渠を作ることにより、土中の酸素量が増え、バイオマスが活性化するという点もあります。
私の取り入れている炭素循環農法では、水はけを第一に考える向きがあるため、特に水田地帯で畑をやる場合には必須の工事なのです。
掘り進めること30センチ、

出ました。粘土層です。
粘土層には水持ちが良いという長所がありますが、そこから下へ根が伸びることができません。
つまりこの状態の圃場では、根の深く張る作物は栽培してもうまく育ちません。
必然的に根が浅いものに限定されます。
こうなると見越し、かねてよりここでは玉ねぎの栽培を計画していました。
湿潤を好み、かつ根の浅い玉ねぎは適作である、という個人的な推測です。
粘土質より上は、本当によく団粒化しており、サクサク手で掘ることのできる状態ですので、じゃがいも、人参、もしかしたら葉物も良くできるかもしれません。
どのみち高畝にして、炭素資材を投入して、気長に深いところまで団粒化していくのを待ちます。
農業ではPDCAサイクルが1年単位で回るので、改善と効果がすぐに確認できないのが残念です。
そのため、事前の情報収集が大切になります。
次に、情報や技術の取捨選択が、生産者にとっての難しい判断となります。
たまたま“できちゃった”場合もあれば、失敗することもありますが、その原因を突き止めることは簡単ではありません。
それではどうも、ありがとうございました。
食べるものがない...★飽食飢餓時代に生きる日本人
どうもこんにちは。モリシタケイです。

自然栽培の野菜には、私たちの生活と考え方を自ずと方向づけるだけのポテンシャルがあります。
だから、自然栽培の野菜を意識的に選ばれる方々にはどこか似たところがあります。
私がお会いした中では、みなさん、どなたも非常にまじめな方ばかりです。
そういった方々との出会いが必然的に多くなるからこそ、この商売をしている面もあります。
さて、自然栽培野菜の対極にあるのは、今現在大量に出回っている食品全般だと言えます。
それらは飽食と肥満、腐敗と病気を招きます。基本的に人間の脳に作用する麻薬的な成分(代表的なのがブドウ糖、ステビアなどの甘味料)を含んでいるため、衝動的な反応によって私たちに選択され、カゴに入れられ、レジを通ったあとに口に入れられます。
ここで注意が必要ですが、それは反応であって、判断ではありません。
受動的なものであって、能動的なものではありません。
日本のテレビは、暇さえあれば食べ物のことばかりを話題にします。
芸能人が人気の飲食店を訪れるとか
どの食べ物のほうが値段や人気がどうとか
飲酒の爽快感を広告するものや
ある特定の商品と家族の絆が強調されるCMとか
まるで手持ち無沙汰になったら食べてそれをごまかす習慣さながらに、テレビがどれだけ手持ち無沙汰にしているかがよくわかります。
実際スーパーなどにいけば、消費者に押し付けられているがごとく、食べ物が私たちを取り囲み、圧倒しています。
本当は食べなくてもいいものも、見切り品として安くすることによって消費者に買わせています。
もうすでにお気づきになられている方もいるかもしれませんが
しかし、わたしたちが食べるものが身のまわりにほとんどありません。
あり余り廃棄され続けている農産物や食料品の数々。
過剰供給されているそれは、本当に私たちが食べるべき食品と呼べるものでしょうか。
どちらかと言えば、食べないほうが身のため、というものがたくさんあるように思います。
そういった意味で、我々はとても貧しい時代に生きているのかもしれません。
これからの時代、自分や家族の身を守れるのは自分たちだけです。
情報も、食品も、思想も、誰かの模倣をしても誰もその責任を取ってはくれないのです。
飽和と飢餓の逆説の中に生きる私たちには、自分たちで計画し、考え、判断、行動する能力が不可欠です。
少々辛辣なことをお話しましたが、個人的には、より良い生活を送るために色々と考えて実際に行動するというサイクルが大好きです。
そのためには本もガンガン読みます。
子供の頃は、自分がこんなに読書をするようになるとは夢にも思いませんでした(笑)
それではどうも、ありがとうございました。
ちなみに、記事を読まれて面白いなとか、参考になったとかちょっとでも思われた方は、えいっと思い切って、ぜひ評価してください^^!
書籍紹介★ルールという“考え”から自由になれ!
どうもこんにちは。モリシタケイです。
今日は、私が常日頃より愛読している本について、解説も含めてお話させていただきたいと思います。
どうしても最初にご紹介したかったのがこれ、「かもめのジョナサン」です。
自分の本当に好きなことを貫いて生きる一羽の若いカモメ、ジョナサン・リヴィングストン。
たとえ群れから追放されたとしても、彼は飛ぶことの探求をやめない。
そしてその果てに見出した本当の自由と、愛。
私がこれを最初に読んだのは高校の朝読書の時間です。
当時はまだ読書の習慣が身についておらず、最初は読みやすいものからと、星の王子さまを読んだ次に手に取った本でした。
当時はまだ、この物語がただの寓話でしかないと思っていました。
ところがある期間を経たのちに読み返しましたところ、この本のメッセージの奥深さとそのあまりにも研ぎ澄まされた無駄のない美とが、私の心を完全に捉えてしまった。。。
この本の中に、こんな一節があります。
「実在する唯一の真の掟は、われわれを自由へと導いてくれるものだけだ。それ以外はない」
私はこの言葉を読んでその意味を理解したとき、号泣した(笑)掟とは本来やさしいものなのです。
これは、私たちが生きるどのシーンにも当てはまるものではないでしょうか。
掟と自由は相反するように見えますが、しかし人間の自由意志など、放っておいたらろくなことをしないんです。
人間は、自身それだけでは決して自由にはなれないのです。
だから掟が必要なのです。
そして掟というものは、善という光を強調することで闇を濃くする、つまり悪を目立たせてそれを攻撃するためのものではなく、あるいはまた、自分が正しくて人が間違っているといった考えを助長するようなものでもないのです。
たとえばきちんとした企業では、業務マニュアルというものが必ずといっていいほど存在します。
これは何のためのものかというと、従業員を会社の思い通りに動かすためではありません。
顧客に常に安定したサービスを提供し、職場を安定させ、結果的に従業員の雇用を守るためのものです。
人間関係においても同じです。
自由と放任を履き違えてはなりませんが、人に接するとき、その相手を何か自分の観念で固定して決めつけてしまってはいないでしょうか。
道徳も、人が決めたものであれば支配と圧力、囲い込みと排除が必然的に生じますが、初めから私たちの心にあった“それ”は、人が決めたものではないからこそ完全に機能する。
つまり掟、ルールとは、正しく解釈されれば、私たちに保護と安全を差し出すものなのです。
人はこれを愛と呼ぶかもしれないし、宇宙の法則と言ったり、神という象徴にあてがってあがめたりするかもしれません。
しかし私としてはその内容だけが関心事でして、それがあらゆる成功している人間関係や企業理念、生き方に精通していると感じました。
実践となるとかなり困難な部分が多いのですが、、、結果が出るのは明らかなので今後はそれをより一層、仕事と家庭、両方にうまく取り入れていこう思います。
ご興味をお持ちになられた方、または一度読んだことはあるけれどまた読んでみたいと思われた方は、ぜひとも、こういった意味があることを頭の隅にでも置きながらお読みになられると、新しい発見があると思います。
ちなみに、この「かもめのジョナサン」、完成版とやらが出ておりますが、完全に蛇足なので、前の版のものをご購入されたほうがいいかもしれません。
それでは、今日もありがとうございました^^